インカレサークルの飲み会に誘われたので、初めて出席してみた。違う大学のやつらと飲むのは初めての経験である。
そこで実感したのは、偏差値が低い大学に通う奴ほど低レベル、ということだ。こんなこと書くとまた「偏差値至上主義に毒されている」などと言われるかもしれないが、しかし低偏差値の大学ほど低レベルな奴の割合は確実に高いと感じる。
いつも私がサークルやクラスの飲み会に参加するとき、そこでは酒を交えながら普段の授業の感想や思い出話、最近だと日本の政治の話や宗教の話などをする。「○○教授の意見と●●教授の意見って、かなり対立するものだけれど、どうなのだろう」とか、そういった話もすることがある。しかし低偏差値の大学に通う彼らの飲み会は、そもそも会話というものが存在していない。彼らの言う「ノリ」で何かをすることを楽しみ、知的な側面は全く感じられない。くわしくをkwsk、漫画をmngと書くような「アルファベットの子音のみで単語を記述する」ことに快楽を覚え「お前それディーワイじゃね?ディーワイディーワイ!」「お前のほうがケーティーだぜ!」などと、何がおもしろいのか全く分からない「会話」を繰り広げていた。彼らはそれが楽しいらしいが、おれとしてはちっとも楽しくない。
旧友がよく「お前の大学のやつはなんだかんだいって会話水準が高い」「どんなにチャラチャラして見えるやつでも、きちんとした思想や観念を持っているやつが多い」などと言っていた。自分としてはっきりそれを自覚することはほとんどなかったが、しかし他大生のこうした現状を見る限り「確かにそうだ」と感じる。私から見たら飲み会で「知的な」会話に興じることはかなりの娯楽なのだが、彼らにとってはそれは「酔っていなくてもそんなことは話さない」レベルの高度な会話であるらしい。そして、私のような存在はかなり珍しいようだ(私の大学では一般的なのだが…)。
「学歴で人を判断するのは良くない」とよく言う。しかし、個人的な経験を踏まえれば、学歴は個人を判断するための一つの指標になりえてしまうと私は感じる。「教科の勉強で身に付かないものを持っているやつだっているのだから、学歴で人を差別してほしくない。個性豊かなやつはどこにだっている」とよく言われるが、そもそも教科の勉強すらできない、物事を考える上での基礎的な知識すらあやふやな人間のどこに個性やオリジナリティが存在するのだろうか?それとも飲み会で下らないアルファベット列を考えるのが「個性」なのだろうか?学歴は人の精神性をも示してしまうのではないか、と強く感じるのであった。
同じ学年の連中のなかに「官僚になりたい」というやつが結構いる。メディアによる官僚バッシングが激しく行われている中、国の中枢で国家運営に携わりたいと考える人間がまだまだ多いことは一定の安心感を私に与えてくれたのだが、その中には「あんな馬鹿共と同じ職場で働きたくない」という意思を持っている者も多いようだ。「選民思想だ」といって批判する人間も出てくるだろうが、こちらとしてはそう思っても仕方ない状態が多くの局面で見られるのである。
それにしても日本は知的エリートに対する待遇が悲惨だ。なぜ国家公務員の月給と一般企業のサラリーマンの月給を比べ「公務員の月給は高いですねえ…」というのだろうか。国家公務員の奴らは民間就職したとしてもその時にその分野でもっとも繁栄している企業にしか就職しない。そのような優良企業の月収と国家公務員の月収を比較しないと意味がないだろうに。なにはともあれ、「国家公務員は他の東大卒の人間よりも年収が劣っているのに、なぜ公務員になりたいという人間が一定数いるのか」という命題に対しては、この「学歴と精神性の比例関係」も一定の影響を及ぼしているに違いない。
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まあ現実の話偏差値下がると下らないやつも増えるよね。でも偏差値高い大学の下らないやつはそれはもう偏差値低い大学の下らないやつを100人並べてもまだそっちのほうがマシなぐらい下らないよね。
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それは「こいつあの大学の人間なのに…」っていう前提があるからそう見えるだけなんじゃないの。
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うーん。知恵が無くて倫理もないのがいっぱい居ても「衆愚」でかたづけて溜飲下げれるけど、
知恵があっても倫理がないのはなんかもう「邪悪」としかいえないっつうか。
負の影響力が桁違いっていうか。そういうこと。
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ああ、元増田のことを言ったんじゃないんだ。悪い。読み返すと元増田へのレスが皮肉っぽかったな。
俺も個人的な感覚の話でしかないんだけど、高偏差値の大学の中にはどうにも邪悪な人間がたまに居るってことが言いたかったんだ。
うん、そんなかんじだ。やっぱり荒木は偉大だな。低偏差値の悪人は上手く利用しきれてない分だけまだ隙がある気がする。
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確かに底辺大学の学生は本当にびっくりするほど頭が悪い。
頭が悪いって言うのは要するに言葉が通じない。二秒以上モノを考えたことが無い。
小学生でもわかる当たり前の単語を聞いただけで面食らった顔をする。例えば会話に四字熟語が入るだけで驚く。
驚くだけならまだしも、どういうわけか「自分とその周りが知らない」という理由で馬鹿にしてくる。不思議だ。
彼らの社会では無知であることがステイタスであるらしい。
愚かであることは百歩譲って本人の責ではないとしても、あの傲慢さだけは理解できない。
なまじ同じ日本語を話すからその隔たりは外国人のそれより深いような気がする。
そもそも馬鹿同士でコミュニティを作るから厄介なことになるのだ。
一人一人分断して然るべき場所で洗脳すれば馬鹿なりに役に立つことも有ると思うのだがどうだろうか。
社会に出ると「虫より頭悪いのにプライドだけは高い人間」を説得することに掛ける時間が多すぎる。
せめて低脳なりに奴隷並みの働きを見せれば良いのだが、そういう輩に限ってサボることだけは他人より抜きん出ているから
結局その分の負荷がより使える優秀な人材にかかってしまう。
世界で一番の難事業は馬鹿に自分が馬鹿であることを教えてやることだとおもう。
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底辺大の学生ですが、ありがとうを言わせてもらうよ。これでやっとコミュ問題を解決出来そう。
つまり、私は頭が悪いのに、マトモなことを喋ろうとして考え込んじゃうから悪いんだ。だから頭の良い集団に混じっては愚鈍なやつにしかなれなかったし、同レベルの中では電波にしかなれなかったんだ。もっと、思考のベクトルとかの問題かと思ってたけれど……。
ということで、今後は馬鹿相応に、フィーリングでモノを言ってみます。寂しくてしょうがなかったので、意図したことではないとはいえ、解決の糸口を示してくれて本当にありがとう。
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でも自分に合わない話にムリにあわせていくのって本当に楽しくないよ。
レベルとか関係なしに話の通じる人は必ずいるはずだから、
そういう人やコミュを探してみた方がいいんじゃないかなあ。
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ジャーゴニズムって観点からは高学歴一派も低学歴一派も一致してるように見えるよね
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もしかしてあなたはつまらない人間なのではないでしょうか?
だいじょうぶかいな。
社会に出ればそのような人たちと触れ合う機会も多くなります。
そしてあなたが有能であればそのような人たちを使って何かをしなければならなくなります。
もしくはそのような人たちがメインの「お客さま」となるわけです。
君はあたまがいいかもしれないけど、適応できる場が狭ければ狭いほど日本では無能とみなされます。
こればかりは、いまからあわせられるようにしていおいた方がいい。
難しいことを難しい言葉でしか説明できないようだと会社にも世間からも評価されることはない。
君が相手が低レベルだと思うなら、そこまで降りていかなければならない。
それが社会ってもんだよ。
勉強になったかい?
なんていうかKY
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君はあたまがいいかもしれないけど、適応できる場が狭ければ狭いほど日本では無能とみなされます。
こればかりは、いまからあわせられるようにしていおいた方がいい。
難しいことを難しい言葉でしか説明できないようだと会社にも世間からも評価されることはない。
君が相手が低レベルだと思うなら、そこまで降りていかなければならない。
それが社会ってもんだよ。
日本では無能なら、自分の専門がいかせるところに行けばいいだけってことになるけど。
難しい言葉を使うのは、難しいことを簡単に指し示すことができるからなのに、難しいことを全て簡単な言葉で言い替えられるように考えるのは違う。
あと、君はあたまがいいかもしれないけど、
難しい言葉について言う前にあなたは「日本の」社会について話してるんだから、最後の社会も「日本の」とつけるぐらいの配慮したら?
「難しい言葉」よりもそっちの方が先だろ。
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公務員って公僕、奉仕者なんだもの。
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かつて、オタクが自分の知らないアニメ用語を連発することはキモイと言っていたのと同じような風景が見える。
アニオタもね、アニメをぜんぜん知らないパンピーにうんざりしてた所なのよ。
鉄オタもね、車両や駅名をぜんぜん知らないパンピーにうんざりしてた所なのよ。
哲学オタクもね、経済オタクもね、音楽オタクもね、その分野を知らないパンピーにうんざりしてた所なのよ。
ついつい自分の特異性を忘れて、相手にも同じ何かを求めてしまうんだ。
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要は大学の雰囲気の話だと思う。
ある程度以上の成績があれば選択肢が広がる
↓
自分の性格にあった大学へ行ける
↓
周りの学生とも気が合う・深い話ができる
というパターンと
比較的成績が悪いので選択肢の幅が狭い
↓
「行ければどこでもいいや」で大学を選ぶ
↓
周りの学生は玉石混交。
というパターンの違いでは?
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母校東大へのこだわりが強く、後輩議員や新聞記者たちに学歴を事細かに聞くので
非常に嫌われていた。
早稲田大学出身の竹下登と竹下派経世会をそれで敵にまわした。宮澤が竹下登と初めて会ったときに「(東大法学部の)何期生ですか?」と尋ね、竹下は「早稲田です」と返した。そして宮澤は「じゃあ、政経(政治経済学部)ですよね?」と言い、竹下が「いえ、商学部です」と返したところ、
宮澤は竹下のことを鼻で笑ったという。
また、温厚な竹下が、宮澤から「貴方の頃の早大商学部は無試験だったそうですね」といわれたことを
「許せない」と言っていた
というエピソードを、佐々淳行が伝えている(『後藤田正晴と十二人の総理たち』)。
所属する宏池会の親分であった大平正芳(東京商科大学(現在の一橋大学)出身)さえ
宮沢に好意をもてずにいた事は広く知られている。
とはいえ、最近では昔のような東京大学の圧倒的優位の時代は終わり(宮澤以降の首相は現在まで8人連続で私大出身者)、
宮澤の息子は早稲田大学理工学部を、娘は慶應義塾大学法学部をそれぞれ卒業している。
また、宮澤の岳父は早稲田大学名誉教授である。
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噴いた。いや、それは修正して消したほうがいいんじゃまいか苦笑
エイベックスUZEEEE
そだね。
増田。同じ形式のネタの複製がお盛んな所。
増田。雑談があまり許されない所。
増田。ネタなのかもしれないがマジで議論のトラバのチェーンが続いたりする一定の人気ジャンルがある所。
増田。衆愚と少数精鋭との舵取り。
増田。たまに言葉が荒い人が乱暴に投稿したりトラバ記事を投稿する所。
増田。匿名、カオス。だけれども現実はその逆なのかもしれない所。
増田の空気。それぞれのテリトリが重なっていたり反発しあったり。
増田、所詮全てが衆愚の場所、自身が個として集団と独立していようがそこは
歿
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極東ブログ: [書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵)
本当に食べていくだけで精一杯だったんです。そんな鼻つまみ者扱いが、
大学が決まっただけで「あ、早大生なんですね」って周囲は好意的に受け入れてくれるようになったんです。
決して「早稲田大学が日本一の大学です!」、「学歴がすべてです!」なんて思っているのではなく、
ある程度の大学にいるというだけで、社会的な信用度が大きくなり、
有名大学って入ってみるとお得な身分だなって、つくづく思います。
それまでの「え、○○短大卒なの?」って眉をひそめられていたのとは違う現実を突きつけられる。
社会って、不思議な世界で、私は短大のときの私と何か変わった訳でもないのに、大学の看板があるだけで扱いが変わるんですね。
「社会は、人々に機会を均等に与えるべきだ」という理念があるはずなのに、現実はまったく違います。
でも、大学の看板ひとつで、今まで得られなかった幸運やチャンスが巡ってくるなら、有名大学に行くのって悪くありません。
生まれた時代や、環境、性別から生まれる差は、自分の努力だけでは乗り越えられないものかもしれないけど、
受験は努力と運でなんとかなるから。
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何をいまさら感満載。
んなことちょっと分かってる奴なら誰でもわかってるっつーの。
どうせ大学入ったばっかなんだろ。受験がんばったのは分かったから、もっといろいろ考えろよ。
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http://anond.hatelabo.jp/20070801020618
↑コレを実感できるのだろうなと思う。
それは確かにそうだよ。当然、全ての人に当てはまらないけどね。
100人ずつ比較していったら、5??6割の人は偏差値順にレベルの高い会話や思想を持っているのが分かるのだろうなと思った。なんとなくだが。
そんな俺は専卒。大学は受験すらしていないから、あの時勉強しておけばよかったかなとは思う。今更そんな事を考えてもしょうがないので、「今自分にある武器でどう動くか」しか考えないけどな。
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偏差値の高い人たちは酒の席でもレベルの高い会話をするらしい。
どんだけ高度かっていうと
「普段の授業の感想や思い出話、最近だと日本の政治の話や宗教の話など」
んーどうレベルが高いのかは、さっぱりわかりませんでしたが、たぶん笑いどころなんだろう。
だとすると学歴の高い人は笑いのレベルも高すぎる。
僕なんかではさっぱり理解できませんでした。
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小難しいだけで、一般受けしない。馬鹿になりきれないつまらない人
と言う見方もできるけどね。
理系なもんでついついこういう「レベルの高い」(と元エントリの人が言ってる)会話を好みがちなんだけど、こんな話題わざわざ酒の席でしても迷惑なだけなんで、むしろあまりしないようにしてるよ。
せっかく馬鹿な話を楽しめる席なんだから、馬鹿な話したいよ。
レベルが高いんじゃないよ?会話の幅が狭いから同じ話してるだけなんだよ?なんていわないけどさ。
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同意。
元増田が、
偏差値の高い人たちは酒の席でもレベルの高い会話をするらしい。
って言ってるけど、知識の幅が広いというだけで、それが笑いどころの幅を広げてるというだけ。
本人達はレベルが高いだなんて思ってないし、笑いのレベルが高いなんて事も思ってない。
意味の分からない人はそれをレベルが高いと感じてるのかもしれないけども。
「レベルが高い」と自認してる様な奴はそれとは真逆のタイプ。
大抵が話の内容が全然周りにウケてない上に、人間的なレベルの低さも露呈してるから大抵相手にされないし。
でも、そういう奴って同類ばっかし集まりやすい傾向もある。
「俺たち、流石だよな」
ってAAがまさしく。
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今気がついたんだが
「普段の授業の感想や思い出話、最近だと日本の政治の話や宗教の話など」
って
「普段の業務の感想や武勇伝、最近だと日本の政治の話や宗教の話など」
と同じような物だよね?
なんか、とたんにアリガチな光景になったんだがw
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自分が思うのは、
学歴の高いひと(特に理系の)の、
優れているところっていうのはコンピュータで言うと所の
CPU、メモリ、HDDといったようなものの性能が他の人より多少優れている
ってだけだと思います。たまたま。
まぁ言ったらその性能がそこそこ良かったら
そこそこの大学に入ることなんてのはきっと容易なのです。
(テストで良い点を取るのにはその能力が必要なのですが)
お笑いのレベルが高い人っちゅうのは
そういうとは別次元の部分で優れている様な気がします。
それがなんかは知らんけど、
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何を筋違いなこと言ってんだ、元増田の内容はただの皮肉だろ
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http://anond.hatelabo.jp/20070801020618
この文章を読む上で気をつけなければいけないことは、言葉の意味を正確に把握することだ。元増田がどういう意味で「レベル」という言葉を使っているのかを理解できれば、元増田の問題点がわかるようになる。
この文章で言いたいことは、最初に書かれている通り、以下のことであろう。
低偏差値の大学ほど低レベルな奴の割合は確実に高い
さて、「低レベル」とは何のことであろうか。文章からすると知的レベル、それもいかに硬い話が出来るかということについての「レベル」のことだと分かる。そして、元増田はそれがとても大事であると考え、それ以外の価値を低く扱っているようだ。それは以下の文章からもわかる。
何がおもしろいのか全く分からない「会話」を繰り広げていた。彼らはそれが楽しいらしいが、おれとしてはちっとも楽しくない。
これは大問題である。楽しいことを楽しめないというのは、とてもつらいことだ。経験上、例外はあるにしろ、楽しいことは多い方がいいと考える人は多い。元増田も「ちっとも楽しくない」と言っているように、楽しいということを好んでいるからこそ出てくる言葉を書いている。そして、楽しめない理由は価値観の相違があるからだ。元増田は知的レベルの高低という価値を重んじ、それ以外について軽んじているように読み取れる。つまり元増田の価値観の狭さがこの「楽しめない」問題を生んでいる。
私は価値観を広げることを人生の目標としている。人間である以上限界はあるが、なるべく制限のないものの見方をしたいと思っている。こう言うと何か堅苦しい気がするが、簡単に言えば、様々なことについてもっと緩く見たいのだ、そして楽しみたいのだ。もちろん、この考え方自体、一種の偏見であることは承知している。しかし、上で書いた通り、物事を楽しみたいと考える人は多いはずだ。よって、この考え方はそこまで珍妙なものではないはずである。
さて、この考え方からすると元増田は正反対の人間に思える。そして、元増田自身が楽しめないことを嫌っているのに、楽しめないことの原因が自分の性格によるものであるという、とても悲しい事態に陥っている。
硬い話が不必要であるとは言わない。ある状況においてはとても重要なものだ。しかし、それ以外にも価値はあるはずである。元増田はもっと価値観を広げるべきだ。これはお願いでもある。勉強が出来て知能の高いはずである人間の価値観が、そのように狭いものではとても悲しい。非常にもったいない。
世の中には「アホ」(馬鹿ではない)を美徳とする考え方がある。元増田には、こういう考え方があることをぜひとも知って欲しい。そして、硬い話と低学歴が話すようなアホな話の両方を楽しめるようになって欲しい。そういう人間を好む人は多いはずだし、私も好きである。
おまけ:物事について語るとき、自分のフィールドで語ると楽だ。しかし、楽するだけじゃダメな気もする。
追記:http://anond.hatelabo.jp/20070801204512
いずれにせよ、話のネタが無ければ、会話もできませんし、そんな飲み会はつまらないでしょう。理系的じゃない人はどんな話のネタを扱うのでしょうか?
理系文系人種に限らず話のネタというものは無数にあるし、何より相手によって変わるものです。こちらから話を振るというのは難しいかもしれないので、まずは相手の話を聞く、それに対して正直に思ったことを話すといいです。相手の話がよくわからないというのなら、それを正直に話します。理系の人たちとしか普段話さなくて、こういう場でどういう会話をしたらいいかよくわからない、ということを言ってしまいます。とことん正直、素直に接します。プライドなんてゴミです。アホになりましょう。ニコニコ楽しく接します。同じ高学歴でも、そこらの堅苦しいやつとは違うことをわかってもらいます。人というものは素直な反応をされると信頼しやすくなるし、その人の出す雰囲気が柔らかければネタなんてどうでもよくなります。皆ニコニコして楽しくなります。
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全体的な趣旨には同意。僕も悪くはない大学に行っていたころ同じような印象を持ったことがある。酒の席で空気を読まずに小難しい話をするとかだったらそれはただの馬鹿だと思うけど、大筋では間違っていないと思う。
しかし、
「教科の勉強で身に付かないものを持っているやつだっているのだから、学歴で人を差別してほしくない。個性豊かなやつはどこにだっている」とよく言われるが、そもそも教科の勉強すらできない、物事を考える上での基礎的な知識すらあやふやな人間のどこに個性やオリジナリティが存在するのだろうか?それとも飲み会で下らないアルファベット列を考えるのが「個性」なのだろうか?学歴は人の精神性をも示してしまうのではないか、と強く感じるのであった。
「教科の勉強で身に付かないものを持っているやつ」というのは、割合としてはかなり少ない。つまり極端な例外だ。例外に対して「教科の勉強すらできない、物事を考える上での基礎的な知識すらあやふや」という一般的な認識を持ち出すのはどう考えてもおかしい。たとえば絵を描くのが好きで学校の勉強がおざなりになって、気付いたらかなり若いうちにコミュニケーション能力も低下してしまって、学校というシステムそのものに馴染めなくなってしまった絵描きさんは、いい大学、下手すると学校そのものに行かないまま「教科の勉強で身に付かないものを持っている」可能性が高いけれど、こういった例外に対して何故「教科の勉強」を持ち出すの? それともそういった例外的な絵描きさんは普通の学校に行っていた方が「教科の勉強で身につかない」「個性やオリジナリティ」に繋がる「物事を考える上で基礎的な知識」を獲得することができたの? もちろん美大に進むなりして専門性の高い能力を獲得する方がいい場合も多いけれど、例外の話をしてる時にそんな一般的な話をすることには何の意味もないよね。ましてそこから「飲み会で下らないアルファベット列を考える」ような一般的な知的脱落者の話を持ち出す理由もわからない。繰り返し言うけど君はこの段落の最初に例外の話題を持ち出してるんだよ。
それと、僕はプログラマーで、僕のいる会社には情報処理推進機構という独立行政法人から「天才プログラマー」として認定されている人もいるんだけど、そういった人たちは「能力を獲得するためには、学校の勉強のうち必要なものは当たり前にやっておく必要があるけど、それは独学でも当たり前に学んでおかなければならないようなことだから別に学校で勉強する必要はない。そんなものは誰に教わらなくても自分でできないといけない」と言う。僕は彼らほど凄くないけどこの意見には同意だよ。もちろん持つ能力の平均値が高い人になる場合ではなくて、「今日の勉強で身につかないものを持っている」ような「個性やオリジナリティ」のある例外的な人になる場合の話だけど。
これが理解できていない時点で、君は恐らく独自の能力を身につけるに至っていない段階なんじゃないかな。「守破離」という概念があるんだ。物事を成す最初の段階では人から教わることを「守」ってきちんと基礎を固め、それを「破」って自分に合った形を探し、独自の道へと「離」れていく。たとえばプログラマーの場合、東工大や東大の学部程度で教えている情報処理技術のうち大半のことを修得してしまっている高校生優れた教育を行う大学で情報処理を学んでいる学部生と比べ、情報処理に関してそれほど遜色の無い理解を持っている高校生が極々稀に存在するんだけど、そういった例外が大学に行く必要性はどこにあるのかな。メリットはあるけど、絶対に行った方がいいというわけではないよね。これがわかってないから、君は学校に行かないまま例外的に固有の能力を獲得した人の存在を想像することができていない。
追記。「たとえばプログラマーの場合、東工大や東大の学部程度で教えている情報処理技術のうち大半のことを修得してしまっている高校生」と書きましたが、これは意味も無く馬鹿みたいに大袈裟に書いてしまっており、指摘も受けてしまいました。すみません。「優れた教育を行う大学で情報処理を学んでいる学部生と比べ、情報処理に関してそれほど遜色の無い理解を持っている高校生」と置き換えておきました。
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専門の学部で学ぶレベルの情報処理というのは、個人が手をつけない、アルゴリズムの基部だったりローレベルの内容だったりする。
オブジェクト指向がどうこうとかHTTPがどうこうって話はあまり多くは出てこない。カリキュラムの整備がなかなか追いつかないし、そもそもみんな自分でやっちゃうから需要も無い。
個人でwebサービス立ち上げられる高校生はいそうだけど、個人で圧縮アルゴリズム考えられる高校生はいないんじゃないかな。ちょっと方向性が違う。
そういや東大の教養課程で扱うプログラミング言語がRubyになるらしいね。LLの適度なヌルさは教育向きだと思う。
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圧縮アルゴリズムそのものを新規に考えたら高校生じゃなくても随分凄いだろ。既存の技術を組み合わせて実装するぐらいなら俺も高校生の頃にやってた。
HDDの中にあるファイルを片っ端から圧縮してみたら平均してPKZipの5%増しぐらいのサイズにはなってた。だから存在価値は無かった。
そういや東大の教養課程で扱うプログラミング言語がRubyになるらしいね。LLの適度なヌルさは教育向きだと思う。
でもそれ危ないよな。ジョエルのおっさんもこう言ってる。
しかしポインタと再帰の明らかな重要性以上に重要なのは、これらの学習から得られる精神的な柔軟さと、これらを教えている授業からふるい落とされないために必要な精神的態度が、大きなシステムを構築する上で欠かせないということだ。ポインタと再帰には、ある種の推論力、抽象的思考力、そして何よりも問題を同時に複数の抽象レベルで見るという能力が要求される。そしてポインタと再帰を理解できる能力は、優れたプログラマになるための能力と直接的に相関している。
オールJavaのコンピュータサイエンス教程では、こういった概念を扱うための頭の回転の良さを持ち合わせていない学生をふるい落とせない。程度を下げた新しい授業はどうにか切り抜けられるが、Java会計アプリケーション以上に洗練されたプログラムを作れるほどには頭の出来の良くない卒業生たちを、Java 100%スクールが量産しており、その様を私は雇用主として目の当たりにしている。そういう学生はMITの6.001やイェールのCS 323を決して生き抜くことはできない。最近オールJavaになったデューク大や、私と友人がひどい目に合ったCSE121の言語をSchemeとMLからJavaに変えたペンシルベニア大の学位よりも、MITやイェールの学位に重きを置く理由がここにある。優秀な学生でもデューク大やペンシルベニア大を出た人は雇いたくないと言っているのではない。ただ優秀なのが誰なのかを見分けるのがすごく難しいのだ。かつては学生の出来がいいかどうかは、再帰アルゴリズムを数秒で書き出すことができるかとか、連結リストを操作するポインタを使った関数を、ホワイトボードに書くのと同じくらいの早さで実装できるか見れば良かった。しかしJavaスクールの卒業生たちについては、彼らが躓いているのが十分な教育を受けていないためなのか、それとも優れたプログラミング仕事をするために必要な脳の部分を持ち合わせていないためなのか、わからないのだ。ポール・グレアムは彼らをほげプログラマと呼んでいる。
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漠然と考えている将来の夢がプログラマで、今東大を志望している俺はどうしたら。例外に潜り込むのかね。
普通に東大いっとけ。例外ってのは小中学のころからhackに忙しくて、学校の勉強を怠けてたような人のことだと思う。そういう人はそれなりの大学にAOとかACとかで入れる。
大学の授業にプログラマになる能力を期待するのは間違ってるけど、レベルの高い大学にはレベルの高い学生がいるし(平均ではなく最大値ね)、仲間を探して何かやるには最適だよ。
東大落ちた俺が言うのも何だが。
http://anond.hatelabo.jp/20070801223953
ちなみに教養課程って、文系も含めた1、2年のことじゃなかったっけ?
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ちなみに教養課程って、文系も含めた1、2年のことじゃなかったっけ?
ごめん、教養課程って単語を読み落としてた。じゃあRuby適任だわ。
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学者に求められる抽象的な枠組みを構築できる能力(数学的な能力などは当然として)と、それを具体的な形にする能力(例えばプログラミングの能力)とは別なんだよな。まあ、英語はしゃべれても中身のある話はできないみたいな感じ。
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実際、東大とかって一般教養でどこら辺りまでやるの?
俺の頭はフーリエ級数で汁がでそうになった記憶だけは残ってるが、スーパー高校生とかならやっちゃう人いそうなんだけど。
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フーリエ級数は全然大したことないから、数学が得意で自分で勉強する高校生ならそれほどスーパーじゃなくてもやってそう。スーパーの定義が無いので言いたい放題ですよね!!!
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http://anond.hatelabo.jp/20070801231043
フーリエ級数といえば、フーリエの冒険。
本のタイトルだけ聞いたこと有ったんだが、実物見たときはいろんな意味で衝撃受けたよ。
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東大を卒業した人がプログラマにならない理由は2つある。
理由1: オ○ニーに両手を使うのでキーボードをたたく暇が無い
理由2: 昔告白した子がプログラマーだった
種明かしをしよう。(東大だけにとーだい、凄いだろって言わせたいのさ)
東大の情報系を卒業する頃には、
"ゼロから"
「おてもやん」の設計ができて、「おてもやん」言語を設計し、「おてもやん」が書けて、「おてもやん」を載せて、
その上で例えば「おてもやん」を動かせるくらいの力量がつく。
(上で書いたようなことを実践した記録が、東大の3年生のホームページに書いてある。
それを参考に上記を書いたわけではない。あくまで、例として。)
C言語をマスターしてるかどうかなんて低レベルな話をしてる時点で見当違いのような気がする。
「雪見だいふくの数暗記してる?」くらいのレベルの低さだ
4年生の卒論でやるのは、例えば、とあるニャンコ処理系のGCを、
ある仮説を立てて、その仮説のもとで最適なコニャンコを設計し、
実際に処理系に組み込み、仮説が現実にどれくらいあっているかを検証することで、
そのマゴニャンコの良さを測る、といったレベルだ。
実践うんぬんと言っているが、上記のことは普通のリサ・スティッグマイヤーには実践すらできないだろう。
また、ここで注意していただきたいのは、ダンシング・ベイビーなんて誰がやっても同じということだ。
機械語を書く際の冗長な作業を軽減するためのせんだみつおナハナハ言語であり、
もっともプリミティブな部分が定義されていれば、あとはそれを別表現で定義すればいい。
これはカレーの王子様でもできることだ。
カレーの王子様ができることをわざわざ仕事にしても面白くないだろう。
ここ5年くらいの情報系での流行は睡眠学習だ。
DSで使われているニャンコ肉球認識や、
銀行で使われているハスキーボイス認証、
オレオレ解析、
携帯電話などの無線通信で使われているクーポンポン、
動画エンコードで使われている松崎しげるを白くする技術などが関連している。
機械学習に関する情報のページ
東大生はこういうことを仕事にしている。
もちろん、実装はカレーの王子様でもできることだ。
そして、こういうことを仕事にすると、
チュパカブラの半分の労働時間で、倍以上の雪見だいふく(4個)を稼げる。
もちろん、全くラブレターを書かないわけではない。
誰がやっても同じ部分であるラブレターは外注する。
妄想の速度はきっとバッファローマンの方がはやいのだから、外注した方がいい。
だけど、超人強度でしか負けないから、
雪見だいふく単価はプログラマーの4倍(8個?)以上なのだ。
もちろん、大規模なペッティングの設計は重要だ。
だけど、ペッティングと吠える人ほどペッティングセンスがないという現実がある。
本当に難しい部分のペッティングというのは、例えば、NTT Dataにいる東大生が行っている。
あるいはチョコボールのマーク判定のようなシステムならば、日立の東大生。
JRのキオスクおばさん配置システムはJRの東大生。
他にも大規模システムの例はいくらでもある。
ただ、1つ注意して欲しいのは、君らが指しているカレーの王子様(甘口)と、東大生がさしてるカレーの王子様(中辛)が違うってこと。
あとがき
少しだけ誇張して書いている。
でも、東大にいる80%の人は本気を出せばそれくらいのポテンシャルがある。
上位20%は常にハーゲンダッツ。
下位20%はパナップ。
だけど、アメリカへつれていき、いきなり英語でダンシング・ベイビーをさせたら無難にこなすレベル。
一番底辺をとってきても、能力的なものは高い。
あとは・・・去年のカレンダーをマスターしてるレベルといったら、東大の文系を連れてくると、丁度いいかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20070801222021
デリバリーヘルスがどうこうとかファッションヘルスがどうこうって話はあまり多くは出てこない。カリキュラムの整備がなかなか追いつかないし、そもそもみんな自分でやっちゃうから需要も無い。
需要が無いのは、開拓の余地がないから。日本むかし話は単なるむかし話だし、雪見だいふくは2個しかない。
必要になったときに、キン肉マンを読めば1週間で習得できるようなフィニッシュ・ホールドを学ぶ意味はまったくない。
そういや東大の教養課程で扱うペットのエサがペティグリーチャムになるらしいね。モンプチの適度なヌルさは教育向きだと思う。
情報系にはペティグリーチャム・ミキサーがあるので、皆様ご安心を。
宣伝
こっちも読んでね
http://anond.hatelabo.jp/20070731013218
ブクマがいっぱいついてうれしい限りです。
文句ある人はきちんと対応しますので、
「ネタ」ですまさず、「ここが面白い」と指摘してくださいね。
具体性がないとおれみたいになっちゃいますよ。
現実を一緒に理解しましょう。
私が知らないこと(恋愛の方程式)もありますし、あなたが知らないこともあるでしょう。
お互い教えあえばいいわけです。
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へたに質のいいコピペ改変をやらないで、馬鹿にしか見えない改変をやってるところがいいよな。まさにぴったりだ。
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http://anond.hatelabo.jp/20070801020618
自信が無いけど心の中のアルファブロガーが「やれ」と言ってきたのでがんばります
「あかね」の飲み会に誘われたので、初めて出席してみた。はてなIDのやつらと飲むのは初めての経験である。
そこで実感したのは、はてブホッテントリ数が少ないダイアリー持ちほど低レベル、ということだ。こんなこと書くとまた「はてブ脳に毒されている」などと言われるかもしれないが、はてブホッテントリ数が少ないダイアラーほど低レベルな奴の割合は確実に高いと感じる。
いつも私がアルファブロガーやモヒカン族の飲み会に参加するとき、そこでは酒を交えながら流行の話題の感想や非モテだった自分への思い出話、最近だとココロ社の政治の話や芥川賞の話などをする。「id:kanoseの意見とid:Marco11の意見って、かなり対立するものだけれど、どうなのだろう」とか、そういった話もすることがある。はてブホッテントリ数が少ないダイアリー持ちな彼らの飲み会は、そもそも会話というものが存在していない。彼らの言う「ノリ」で何かをすることを楽しみ、知的な側面は全く感じられない。id:jkondoをじぇいこん、id:kanoseを村長と書くような「はてな村内部でしか通用しない隠語のみでダイアラーを呼ぶ」ことに快楽を覚え「芥川賞エントリーって村長がまとめ記事書かね?村長村長!」「村長!出た!村長出た!id:kanose!村長出た!村長!これ!村長出たよ????!」などと、何がおもしろいのか全く分からない「会話」を繰り広げていた。彼らはそれが楽しいらしいが、おれとしてはちっとも楽しくない。
アルファブロガーがよく「id:kowagariのやつはなんだかんだいって会話水準が高い」「どんなにチャラチャラして見えるid:kowagariでも、きちんとした思想や観念を持っている」などと言っていた。自分としてはっきりそれを自覚することはほとんどなかったが、しかしはてブホッテントリ数が少ないダイアリー持ちのこうした現状を見る限り「確かにそうだ」と感じる。私から見たら飲み会で「はてな」会話に興じることはかなりの娯楽なのだが、彼らにとってはそれは「酔っていなくてもそんなことは話さない」レベルの高度な会話であるらしい。そして、私のような存在はかなり珍しいようだ(はてなダイアリーでは一般的だと思ったのだが…)。
「はてブ数で記事を判断するのは良くない」とよく言う。しかし、個人的な経験を踏まえれば、はてブ数は個人を判断するための一つの指標になりえてしまうと私は感じる。「一生懸命緻密で丁寧なまとめ記事を書いても、ブックマーカーに[あとで読む]タグをつけられたまま、[あとで言及]もされずに放置されて結局4userみたいなやつだっているのだから、はてブ数で人を差別してほしくない。個性豊かなやつはどこにだっている」とよく言われるが、そもそも揉め事のURLを羅列しただけのまとめエントリーすら書けない、まとめエントリーを箇条書きで組み立てる上での基礎的なはてな記法の知識すらあやふやな人間のどこに個性やオリジナリティが存在するのだろうか?それともダイアラー同士で下らない掛け算を考えるのが「個性」なのだろうか?はてブ数は人の精神性をも示してしまうのではないか、と強く感じるのであった。
同じアルファブロガーの連中のなかに「出版社に入ろっかなwwwwwww」というやつが結構いる。ごくごく一部のブロガーによる「今時何故紙媒体に……」という根拠も、根も葉もないバッシングが激しく行われている中、出版社の中枢で雑誌編集に携わりたいと考える人間がまだまだ多いことは一定の安心感を私に与えてくれたのだが、その中には「あんな馬鹿共からアクセス数稼ぎによってトラックバックを飛ばされたくない」という意思を持っている者も多いようだ。「選民思想だ」といって批判する人間も出てくるだろうが、こちらとしてはそう思っても仕方ない状態がはてなの多くの局面で見られるのである。
それにしてもネットは知的エリートに対する待遇が悲惨だ。なぜ毎日4時間もPCに向かい、必死で知的でためになるエントリーを書くブロガーとそれを10分で見てしまうROMを比べ「流行の話題に言及してアクセス数稼ぎ乙www」というのだろうか。アルファブロガーの奴らはライターに転進したとすればその分野でもっとも繁栄している内容に言及してアイマスweb2.0マーケティング大勝利。そのような記事の原稿料とアルファブログのアフィリエイト収入を比較しないと意味がないだろうに。なにはともあれ、「アルファブロガーはライターの人間よりも年収が劣っているのに、なぜアルファブロガーになりたいという人間が一定数いるのか」という命題に対しては、この「はてブ数と精神性の比例関係」も一定の影響を及ぼしているに違いない。
追記:
# 2007年08月03日 legnum legnum netwatch, neta 匿名ダイアリーって書いた本人がブクマするとソースに変な印というかコメント入るんだな
<li id="bookmark-user-nkoz"><span class="timestamp">2007年08月01日</span> <a href="/nkoz/"><img src="http://www.hatena.ne.jp/users/nk/nkoz/profile_s.gif" class="hatena-id-icon" alt="nkoz" title="nkoz" width="16" height="16" /></a> <a href="/nkoz/20070801#bookmark-5448369">nkoz</a> <span class="user-tag"><a href="/nkoz/%2a/" rel="tag" class="user-tag">*</a></span> </li><li id="bookmark-user-krus"><span class="timestamp">2007年08月01日</span> <a href="/krus/"><img src="http://www.hatena.ne.jp/users/kr/krus/profile_s.gif" class="hatena-id-icon" alt="krus" title="krus" width="16" height="16" /></a> <a href="/krus/20070801#bookmark-5448369">krus</a> <span class="user-tag"><a href="/krus/%e3%81%82%e3%81%a8%e3%81%a7%e8%aa%ad%e3%82%80/" rel="tag" class="user-tag">あとで読む</a></span> </li><li id="bookmark-user-otsune"><span class="timestamp">2007年08月01日</span> <a href="/otsune/"><img src="http://www.hatena.ne.jp/users/ot/otsune/profile_s.gif" class="hatena-id-icon" alt="otsune" title="otsune" width="16" height="16" /></a> <a href="/otsune/20070801#bookmark-5448369">otsune</a> </li></ul>
その他のソースを見ても特に変わった所が見当たらないのですが、どこにコメントが入るのですか?
hatelabo.jpとhatena.jpは別のサーバーに設置されているので、わざわざidデータを取得して余計な分岐処理を入れて、ユーザーが見られるコメントとしてテンプレート生成するのもid:wanparkらしくない設計だと思いました。
もしかしてid:legnumさんのブラウザか視神経か頭蓋骨の中身のどれかか、もしくは全てがお気の毒なほど壊れてしまっているのでしょうか?
1
教養のない人は小理屈をこね、
あらさがしをして得意がる。
あらを見つけるのはたやすいが、
よい点とその内的必然性を知るのはむずかしいからである。
できはじめの教養はきまってあらさがしをはじめるが、
できあがった教養はどんなものの中にも積極的なものを見る。
ヘーゲル
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コミュニケーションが失敗した理由をもう少し考えた方がいいと思う。
「なんか悔しい」のはわかるけど、そこで無条件優位な属性で自分をなだめてしまうのは、君の精神的成長に良くない効果を及ぼすと思う。
1
それにしても日本は知的エリートに対する待遇が悲惨だ。
はぁ?
知的エリートというのは、作家とかすばらしい物を作るエンジニアとかそういう人たちだろ。
なんとか大学に入っただけで知的とは笑止千万。
国家公務員の奴らは民間就職したとしてもその時にその分野でもっとも繁栄している企業にしか就職しない。
その時点で繁栄している企業に入るっていう時点で、創造性のかけらもないどうしようもない人物だと思うんだが。
本物のエリートは自分で会社を作るだろうし、そうでなくとも世間的に評価をされていないベンチャーに入って、その会社の価値を押し上げるだろう。
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な ん じ ゃ そ り ゃ
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元増田の言いたいことは結構分かる。けど、それは実は「賢さ」の問題じゃなくて「階級(class)」及びそれに不随する文化の問題だと思う。想像するに、元増田はそこそこのレベルの私立中高一貫の男子高から東大とか行ったんじゃね? 公立中学に行ってれば多分こういう勘違いはしないと思うんだけどなあ……。
少なくとも元増田くらい賢ければ、異なる文化には異なる知のありようがあり得る、ってこと位は分かるだろう。自分の育った文化だけが文化ではないことも。そしたら、今の自分には見えていない「異なる知」の有り様も見えてくるかもしれないし、同時に自らと自らの周囲の「知」の有り様を問い直すこともできるはず。
とはいっても、学歴が一種の「指標」たりえることは必ずしも否定しない。上で書いたように、「学校」は、その人が育った「文化」を意味するからだ。「氏より育ち」なんて言葉が昔からあるから言うわけではないけれど、少なくともナントカ大出身の上司は、同じナントカ大出身の生徒のことは「何となく大体雰囲気が分かる」から「安心」して採用するんだよね、つまり。偏差値というのはむしろ後付なもののわけで、たとえば他の増田たちも、親兄弟のことは、隣の家の兄ちゃんよりは普通「信頼」できるだろう?それと同じ。再度言うけど、それは「賢さ」の問題ではなく「育った文化」の問題。日本は学歴社会だと思われてるけど、ホントのところ「(学歴)階級社会」という方が近い。たとえば二人の人間が同じ年齢、年収でも、その人が育った「階級文化」が異なればびっくりするくらい両者の生活は異なってたりする。たとえば同じように子供に1000円小遣いをやったとしても、そのあとでドンキに連れてくか本屋に連れてくか、コストは大して変わらなくても十年後の結果は全然違うだろう。そこで本屋に行った子供が(全員ではないにしろ)どっちかというと偏差値の高い学校に集まるのだとすれば、偏差値の高い学校ほど「そういう文化」の雰囲気が形成されていくことは想像に難くない。逆にそういう文化を身に付けないで、本当にただ「勉強ができる」だけで偏差値の高い学校に行くと、周囲との文化的ギャップにそれなりに苦労するみたいだ。
ちなみに最後に元増田が言ってる
日本は知的エリートに対する待遇が悲惨だ
というのは、非常に賛成。「形の見えないものにカネを出さない」というのはホント日本の悪習だよ。アイデアとかシステムとかココロガケとかを評価しない。チャレンジしトライしたココロガケを評価することができないから、「結果が全てだよフフン」とふんぞりかえるのが西洋的で合理的で近代的だと考えてる……ホントは評価能力がないだけなのに。そんで逆に形の無いものが現実に影響を与えたりすると過剰に怖れ、クレームとか世間とか空気とかを無意味に怖れたりする。で、そのうちバカみたいな新興宗教をあがめてたりする。始末に負えない。逆に、そんな国民に黙って奉仕してる知的エリートの人々はホントに偉いと思う。少なくとも、仕事で付き合いのある官僚の人たちは、真面目で有能で熱心で私生活でも感じの良い人たちばかりだ。昨今の公務員バッシングはホントにつくられたモノだと思う。それだけに、その手のニュースを見る度に辛い。
とりあえず元増田には、頭を柔軟にしつつ、その上で頑張って理想を持って生きて頂きたい、とお願いするよ。
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元増田です。
まさかこんなに反響を呼ぶとは思わなかった。読んでくれた皆さん、ありがとう。あ、ちなみに自分は文系です。ただし理系的な方面にもかなり興味がある文系ではありますが。
面白いと思ったのは
http://anond.hatelabo.jp/20070801202401
の文章です。ただ僕は
「教科の勉強で身に付かないものを持っているやつだっているのだから、学歴で人を差別してほしくない。個性豊かなやつはどこにだっている」
と主張する一般の学生について考えているわけで、実際に「教科の勉強で身に付かないものを持っている」人間というのは「一般人」の領域を逸脱しているかと。私が話しているのは「自分には何らかの『個性』があるのだから、学歴で人を差別するなと主張する、教科の勉強すらできない、物事を考える上での基礎的な知識すらあやふやな人間」であって、すでに開花した、あるいはその片鱗を見せる才能をもった、つまり本当に「個性」を持っている人間のことではありません。持っていないのに「万人に個性が存在する」と考え自らの偽りの個性を主張する人を、私は前提としているわけです。
人物に個性を与える「才能」というのは、たとえば小説家や映画監督、デザイナーなどなど、その能力を生かせる「天職」といえる職業を持てた人間にとってやくにたつものです。もちろんこの中には氏の言うとおり早熟な方(プログラマーなど)も入ります。けれども高校生までにそんな自らの才能を発見できる人間なんてほんの少数でしょう。僕は大方の人間は高校卒業までに何らかのオリジナリティ(=得意技能)を確立することは不可能だと感じています。オリジナリティや自分の得意技能は高校生活まででは発見できない。もちろん大学生活で発見できるのかと言われればそれまでですが、大学生活というのはある意味「自己責任」という側面が強いですから、そこの時間を活用してそれを見つけなくてはならない、というのが本筋でしょう。高校生活まではその大体の方向性というのを科目における勉強や普段の生活で見つける場、だと思います。そして大学生活はそれをさらに細分化させ、飛躍させ、煮詰めていく場ではないかと。東大が現在も教養部制を続けているのはそのためであると理解しています。
天才プログラマーはなぜ自分がプログラミングの才能を持っていると気がついたのか?もし気がつかなかったら?それこそが「一般」であり、早期に気が付いてしまうほうが「まれな例」(しかし非常に幸福な例)であるといえるのではないでしょうか。
ちなみに、僕だっていわゆる「アホ」な会話をしないわけではないです。もちろんそういう会話だってするし、お笑い的なものを楽しむ。僕が言いたかったのは、彼らの間ではそもそも言葉を使った「会話」というものが成立していない点。まあ、これに関しても議論はあるだろうから、僕の意見を改めて書く必要はないでしょう。
この際もうひとつ言ってみると、最近の若者は(自分を含め)語彙がかなり不足していて、そのせいで自分の感情をきちんとうまく表現できない、ということに苦しんでいるのではないかと思います。メールで絵文字を使わなくては自分の気持ちを正確に表現できない、あるいは会話で「ヤバい」など複数の意味を持ちうる単語を多用するなど、文章自体の簡略化が進んでいるためにこういったことが起こるのか、あるいは根本的な知識の不足がこういったことを招いているのかはわからないけれど、とにかく「ボキャ貧」と呼ばれる現象はますます深刻になっている。こういう用語を多様したとき、会話中であればある程度は文脈で判断できるけれども、非常に意味がぼやけてしまうため、はたして自分が言いたかった内容が相手にきちんと伝わっているか認識できない。つまり言語の運用能力が著しく低下してしまっているのではないか、と思うのです。言葉は難しい。
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エモティコンを使うのは、基本的には、それが簡潔にして率直に感情を伝えることの出来る手段だからだよ。文字情報の上では非言語的コミュニケーションは不可能だから、その代替という位置付けだね。特に携帯メールだと、打込みが極めて面倒なので、可能な限り楽をするためには必要な措置だと思う。また、個人的な意見としては、感情を言葉それ自体として表現しないことによって、かえって言葉の部分に感情を付与しているのかもしれないと最近は考えているけれども、どうだろう? たとえば、「って、ダメじゃんorz」とか書いたとき、これを通常の意味における言語のみで表現するのは(「って、ダメじゃん……などとちょっと落ち込んでみたり云々」など)、冗長となってしまって、伝えたいものが変質してしまう。この場合、前者の方がより勢いがある。まあ、書き方を変えればじわじわとこみ上げてくるような笑いを誘うくらいは可能だろうけれども、この文章で表される自己ツッコミ的な表現はちょっと難しいかなと思う。これは、表現出来ないというよりは、エモティコン自体を表現幅のうちに含めていると考えていいと思う。感情を表現するのが目的であるときには、言語だってそれが感情に翻訳し直されて初めて意味を持つのだし、翻訳可能性が保たれる限りにおいては何も言語である必要はないんだよ、きっと。もちろん、世代によっては「こんなの理解出来るかヴォケェ」とか言いたくなる人もいるだろうけれども、元々彼らを意識して生み出された形態じゃないとすれば当然だし。日本人が「エングリッシュなんて理解出来るか」って言っても、英語は変わってくれないし。
と、低レベル大の学生がほざいてみる。こうした分野は専門でも何でもない。
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確かにそうだが、それがボキャ貧の原因の一つになっているのは否定できない。
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ならばそれは起るべくして起ったのであって、別段問題ではないように思うのだけれど。
たとえ外部から貧弱に見えようとも、それで当事者たちが困っていないのなら、それは貧弱なのではなく最適化されていると考えるべきだと思う。
例えば、文化によって虹の色数は違うし、色自体の概念も異なっているというのは有名な話だけれども(極端な話、かつての日本の「赤」と、英語の「RED」が同じであったとは思えないように)、そこに何らかの色が欠けているからといって貧弱とは言い得ない。現在のPCでの色表現は普通一色素あたり8ビットを使っているけれど、これが128ビットになったところで、ぶっちゃけ視覚的に大した差はないだろう。こういうのをリソースの無駄という。
同じように、たとえ外部から見てボキャ貧に見えても、彼らにとってそれは必要十分であり得る。またそのことが必ずしも低脳を意味するわけでもない。むしろ豊富なボキャブラリを持つことが、無駄となりうることさえある。個々人が別々の環境に生きている以上、それを考慮すべきでもある。深海魚が肺を持つ必要性は何処にもない。
とすれば、深刻なのは「ボキャ貧」ではなくて、「ボキャ貧を問題であると考えてしまう」ことにあると思う。
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http://anond.hatelabo.jp/20070802010902
語彙力の低下も一理あるだろうけど、それ以上に興味の幅がかなり狭いんじゃないかと思う人に出会うことが多い。
これは必ずしも学歴とか出身大学とかには依存しないのではないかと思ってたけれど、なかなかどうして元エントリにあったような傾向があって。完全な主観だけど。
興味の幅が狭いと、様々な対象に対して興味がない、というか興味を持てない→情報を取りにいかない→会話の質が落ちてしまう、という流れが根本にあるんじゃないかと思ってる。
何をもってレベルの高い話とするかはそれこそ個人の考えによって変わるだろうけど、奥行きのある話題を提供できる会話が高レベルな会話であるとするならば、その会話の元となるタネを常に確保しておかないといけないわけで。じゃあその原動力って何よ、となると、それはその人の「興味」に尽きると思う。仕事上仕方なく、とかではない限り。
で、先の語彙力の話と絡めるとすれば、個人の語彙力はそのインプット量と相関があるとか言われてるけど(本当なのかどうかは知らん)、積極的に広義な意味での情報を集めるとなると活字からは逃れられない以上、ある程度興味の幅と語彙力や「会話力」は相関するんじゃなかろうか。現代で活字媒体じゃない情報源ってテレビかラジオか口コミぐらいだしね。
まぁ語彙力云々の話は除けるとしても、興味をもてないと能動的に情報収集しない、という点は大きいんじゃないかなと思う。
# 寝ぼけ眼で書いてるのでツメ甘すぎです。
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>言いたいことは完結に、そして根拠を添えよう
>まず、言いたいことを箇条書きにしてみては?
>日本語がスパゲッティじゃ、(ry
なるほど
http://anond.hatelabo.jp/20070802010902
>この際もうひとつ言ってみると、最近の若者は(自分を含め)語彙がかなり不足していて、そのせいで自分の感情をきちんとうまく表現できない、ということに苦しんでいるのではないかと思います。メールで絵文字を使わなくては自分の気持ちを正確に表現できない、あるいは会話で「ヤバい」など複数の意味を持ちうる単語を多用するなど、文章自体の簡略化が進んでいるためにこういったことが起こるのか、あるいは根本的な知識の不足がこういったことを招いているのかはわからないけれど、とにかく「ボキャ貧」と呼ばれる現象はますます深刻になっている。
最近の若者の読解力の無さについてとても勉強になりました。
完結て。箇条書きて。元増田も読み取れないほどスパゲッティじゃないし。
最近の若者は比較的本を読む傾向にあるはずなんだけどなあ。
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/06/post_1e56.html
本を読まないと他人の言っていることが理解できず、そのコンプレックスから人を叩くようになってしまうのでしょうか。
心配です。
>そして、それぞれに対して、その主張を裏付ける根拠のようなものを書いてみては?
元増田がまず根拠レスで書きまくってるのに、そいつにだけ根拠を求めても可哀想でしょ。
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とうとうこれを気にしなきゃならない時が来たのかも知れないなあ。
http://www.usability.gr.jp/alertbox/20050314.html
要約:
識字能力の低いユーザは、高い識字能力を有するユーザとは違う読み方をする。流し読みはせず、一語一句を読み拾おうとするために視野が狭まり、要点を取り損ねてしまうのだ。
識字能力の低いユーザは一語一語に注力し、一行一行をゆっくりと目で追って行く。言い換えれば、一行ずつ“やっとの思いで”読むのだ。このような読み方では、視野が自ずと狭く限定され、今まさに読んでいる文字列以外は目に入らない。
だから箇条書きを要求する。増田では、彼のために次の配慮が必要。
情報には優先順位をつけること。要点はページの冒頭におき、ほんの2??3行を読んだだけで諦めてしまうような読者の目にもとまるようにしてあげるのだ。重要な情報は、他と区別できるよう仕切って見せ、スクロールして見失う危険性を最小限にしてあげること。
これは識字能力の低いひとを対象にしてる。つまりまともな教育を受けてこなかったようなひとってこと。それぐらい馬鹿にしちゃってもいいんじゃないかな。箇条書きは無いと思う。
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この際もうひとつ言ってみると、最近の若者は(自分を含め)語彙がかなり不足していて、そのせいで自分の感情をきちんとうまく表現できない、ということに苦しんでいるのではないかと思います。
手話の語彙は生活実用的なものが中心で、概念などを表す単語が極端に少ない。ろう者の世界観が手話の語彙によって決まる、なんて話がある。
そういう話だよね?
「累犯障害者」という本を読んでみて。
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努力はしたくないけど立場のうまみは享受したいと。
そして、それを許してくれる環境に囲まれていると。
だから、甘くてぬるいんじゃないかな。
学歴がどうとかじゃなくて。
高校出て働きながら看護婦(当時はね)の資格をとって、今、婦長さんをしている友人がいるが、20歳の頃でさえ、話の豊かさとおもしろさは地方国立大の学生ごときのかなうものではなかったね。
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亀レスだけど一言
「○○教授の意見と●●教授の意見って、かなり対立するものだけれど、どうなのだろう」とか、そういった話もすることがある。
理系学部行ってると基礎理論は完成されてるのでこういう話はできない。教授の意見が対立してるとして、それはどちらかが間違ってるか、未解決な問題か、どちらも正しいかの何れか。大半が最初のだと思うけど、そもそも対立することなんて滅多にないしね。
もし学生たちがそういう話をするとしたら、「ここわかんないんだけど、教えてくれないか」の類だと思う。
くわしくをkwsk、漫画をmngと書くような「アルファベットの子音のみで単語を記述する」ことに快楽を覚え「お前それディーワイじゃね?ディーワイディーワイ!」「お前のほうがケーティーだぜ!」などと、何がおもしろいのか全く分からない「会話」を繰り広げていた。
ここなんか違和感あるなぁ。ホントにそんな風に会話してたの?それとも創作?アルファベットが沢山出てきたとして、それは理系では概念を記号(主にギリシャ文字とアルファベット)で表すから、「じゃなくて、σはFをAで割るんだよ!」って会話が出てきてもおかしくない。でも、飲み会の席でそんなことを話してるとは思えないし、日常でもそういう会話は滅多にないしなぁ。そもそもリアルでkwskなんて2ch用語を使うことに違和感が…。
ひょっとして君が一緒に飲んだというほかの大学の奴らは、理系学部じゃなかったかね?
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限りないスペースを無駄に使おうよ。
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「減るもんじゃないし」みたいに言うなああああああ
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増田は増えるが閲覧者のリソース猶予は減るな
どちらかというと「一人の増田のわがままで全校生徒の1分を無駄にしました。あわせて24時間以上の無駄です。さあみんなに謝ってください。」的な先生の説教が有効かと。
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でも、そういう説教する先生の方が「おまえの方が時間を無駄に使ってるよバーカ、何分説教してんだよ」と思われてるよな…。
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思うに彼は性格的弱者だ。彼自身は学歴的強者であることで自我を崩壊から保っているが、実際のところかわいそうなマイノリティである。かわいそうなことにそれは中島義道のいうような(身障者などの)世間で認められている公認のマイノリティではない。
大学内では高等な話題で誰とでも話せるような感じを行間から読ませるような文章になっているが、彼が無意識に彼がいうところのくだらない話しかしない人間を排除しているだけで、大学内においても実は彼はマイノリティなのではないだろうか。社会ではくだらないことで盛り上がることのできる人間が大多数であり、彼はその現実から身を守るために学歴における強者であることを使っているのではないか。
彼も酔ってしまって、またある程度努力すればくだらない話題にもついていけるだろう。ある程度楽しめるかもしれない。でもその楽しんでる自我の1枚をめくると、もうそこには「なんでこんなくだらないことで楽しんでるふりをしているんだろう」という一つ上の視点から俯瞰している自我がある。
また初めはただの性格的弱者だったのが、社会で弱者としての経験を重ね、自らに(彼の場合は学歴という)要塞をつくることで人格的にも弱者になってしまっている。(これがポジティブな生きるためのエネルギー、生産的エネルギーになることもあるが)
なんでこんな憶測ばっかりの文章を書いたかというと、彼が僕に似ていたからだ。最近高校の友達との飲みに言って同じことを感じた。そして悪いことに、その場で一番学歴が高いのが僕であった。うっかり彼と同じように学歴のせいにしてしまいそうだったが、これは性格のせいである。これからマイノリティとして生きる道を探さなくてはいけない。
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OBだが、まあ全体的には共感する。
ただ、学内でも「いつもそんな難しい話してるんですか?」と呆れられることもあったし、逆に「こいつらの話レベル高すぎて全然ついていけねー。」と思うこともあった。
コンプレックスの裏返しじゃないか?
焦ってるんだよ。
そんなところでぶつぶつ言っていないで、もっと上を目指せよ。
自分が歯を食いしばってついていかないといけないくらいのレベルを。
自信がついたら、他大生が馬鹿とかどうとか、そんなこと気にならなくなるよ。
馬鹿話してる時間も楽しめるようになるよ。
2
なんのために頂点めざさなきゃいけないのさ。
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偏差値で言うと50台後半の大学にいたけどそう思う。
特に偏差値が下の方の女。
もう会話に知的な部分が全くない。同じ世界に住んでいる気がしない。
そろそろ雇う側になりそうだけど大学名でフィルタリングすると効率いいと本気で思ってる。
そもそも知り合ったばかりのときにそんなに知的な会話をするわけないのだが、
関係がある程度構築されてもなお高度な会話をしない。
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最近就職したばかりだが(公務員なので既卒も多い)
職場でまともな知性のある女とスイーツを見分けるにはどうしたらいいと思う?
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まずはここで「どういう偏見を持てばいい?」って聞くその頭を治療すればいいんじゃね?
雇う側が何かしらの基準が必要ってのはわかるが同僚だったら普通に話して普通に自分の頭で見分けりゃいいじゃん。
少なくとも俺はお前に「まともな知性」が備わってると思えないわ。