http://anond.hatelabo.jp/20080823131346
この記事で大阪の同和教育について書いたものです。
反響が大きくてびっくりしました。
ご意見に返信していきます。
大阪で育ったけど
こんな教育受けたことない。
本当に「大阪では」と書いてあるところは
全部「大阪にある僕が通った学校では」と書かなくてはいけない話だと思う。
一般化してほしくない。
ごめんなさい。
自分の育った地域は大阪の中でも同和教育の時間数が多かったのかもしれない。
1980年代に大阪府の茨木市で小学校に通っていました。
「にんげん」....憶えてますよ。表紙がオゾマシイイラストのあの本ですね。
道徳の時間はすべて部落差別問題(たまに障害者差別)に充てられました。教材は、「にんげん」もしくは先生が用意したプリント。
「道徳=同和教育」だと思っていました。
ナントカ委員会の人は憶えてないけど、
「にんげん」の表紙のおぞましさは忘れられません。表紙になにか別の紙を貼って隠してしまえばよかった。あの表紙は今でもみたくない。
それと、道徳の時間に教室内つつむ空気の白々しさ。なんだったんだ、あの違和感は。いまだに理解できん。
個人的な感想で申し訳ないが、自分もあの表紙は怖かった。
自分も「道徳=同和教育」という学校でした。小学校は特に。
まっとうな同和教育は必要だよ。元増田の紹介は明らかにオカシい。変なミスリードが掛かってると思うよ。
確かにまっとうな同和教育は必要。それは正しいことだと思う。
でも、僕が受けた同和教育はおぞましかった。
小学生にとって、学校の教室という閉じられた空間で、
いつもと違う、怖い形相の先生にピリピリした空気の中、偏った思想を植えつけられることがどんなにつらいか。
なんていうか、時間数も、内容も、度を越している。
広く大阪で一般化されてもな。俺はずっと大阪だが、そんなアホな教育受けてないぞ。ちなみに豊中市。
仮にそんな漫画みたいな同和教育があるとしても、もっと狭いごく一部の話なんじゃないか? あるひとつの市か、町か、一校かは知らんけど。
もちろん同和教育はあったし全校集会的なものだったけど、部落差別の歴史と、それで辛い目にあったという話を聞く授業がメインだった。
って当たり前だわ。部落のお陰で濡れ手に粟でいい目にあってんぜ、というアピールをして部落の外の人がいい印象を抱くわけないだろ。ネガティブキャンペーンにしかならんのは自明だ。本当にそんな逆効果にしかならん教育やってんのか?
仮に今逆差別で彼らがウマウマやってるんだとしてもその公演は非合理だぞ。とても信じがたいが。
(追記)
あ、もしかして……。
「人権ってええで!ぬくいで!」→「人権はすばらしいものだ、我々(聴衆も含めて市民全員)を守ってくれるものだ」
「キミ等は結婚するときに差別したらアカンのや!」→これはまあそのままにしか受け取れないが。
「差別されてた人たちは、ほんまはゲキ(たぶん、劇のこと)とかの天才のすごい人やったんや!」→河原者のことを指してる?(この国の演劇の起源と言われている)
お前、変なミスリードしてねえか?
まず、劇についてはたぶんあなたが言っているとおり、教科書に載っている通りだと思う。これは小学校の時にも知っていた。
でも話した人の発音が明らかに「劇」の発音じゃなかったのでカタカナで書いた。誤解を招いたならごめん。
自分が書いたことは全部個人的な体験談なので、あなたの学校ではそうではなかったかもしれない。
で、「自らバラすわけがない」に対して、これも個人的な体験で申し訳ないのだが、
「うちのアパート、同和委員会入ってるから正月は無料で市がタタミ換えてくれるねん」
などなど、子供同士ではけっこうどぎついことも話しまくっていた。あ、これは中学校の時の話。
自分が同和問題に興味を持っていたから、そんな話を聞きやすかったのかもしれないけど。
あと、公演も授業も、「差別された人たちを今優遇しなければならない」という思想を延々とコドモに対して繰り返すこと自体が悪いと思う。
非合理だとは思うが、実際に体験したのだからしょうがない。
結婚の話にしても就職の話にしても順調に交際が進んでいたり内定が出てたりしていたのにある日突然相手の態度が変わった。
興信所に私の素性を調べさせて部落出身だと分かったからだ、みたいな展開でしょ?
何で非モテや非コミュだから悪いんだ、みたいな話になるんだよ
確かにワンパターンすぎて面白みのある話じゃないしキレる先生もどうかと思うが
その読解力では「国語の成績悪そう」とか通知票やはてブに書かれても反論できないんじゃないか?
非モテとか非コミュとかいう話題に興味は全然なかった。
だからその言葉の意味はわかるけど、はてなでのコンセンサスというかニュアンスはわからない。と先に断っておく。
それが素性がわかったから結婚を断るという話だけではないのだ。
結婚とか、友達と遊ぶのを断られたから、「部落出身者だからか」と勝手に結論付ける話が存在していたし、僕は読まされた。
あと最後の一文は挑発以外の意味ないですよね。いらない。
大阪の先生ってすごく怖いって方が印象的だった
「大阪」で一般化するなと自分で言っておいて一般化しないでください
ここに書いてあるような授業の元締めである大阪府(市)同和教育促進協議会の事務局と同じビルに事務所のある某組織の中の人だった俺が保証する.どれもおおむねホント,あるいは学校によっては更に凄かったよ.もちろん「自分は大阪出身だけどここまでではなかった」とコメントしてらっしゃる方が嘘をついてるとも思わない.たぶん,学区内に「行政が公認した対策事業対象地域」が存在しない学校だったんじゃないだろうか.
元増田のような地区外出身者への洗脳も凄かったけど,個人的にいちばんえぐいと思ってみてたのは,「部落出身者としての自覚を促す」とかの戯言に基づいて地区出身者に強要される「部落民宣言」だな.連中にとっちゃ,「地区出身であるにも関わらず自分が差別されてるとは特に感じてない」存在が許せんのだろうね.自分たちが運動を行い対策事業の恩恵にあずかる最大の根拠を身内に否定されてるようなもんだから.
部落民宣言の話は、友達から聞いたことがあるが、名称を覚えていなかったので書けなかった。
お詳しいようなのでこの際聞いてしまいます。
これも中学校時代に友達から聞いたのですが、「同和委員会に入っているだけで特定部落出身者でなくとも減税など特定部落出身者の受ける行政処置を受けられる」という制度は本当にあるのでしょうか?
もちろん増田なので正確度は期待していませんが…一応。
自分が生まれ育った大阪府枚方市ではこんな教育は受けなかったんだけど(昭和54年生まれです)、
同和の予算がカットされていってるから、これから縮小されていくのではないかな、と思うよ。
こういう教育が残っているにしてもね。
それを願います。
率直に言って、僕は安心してもいます。
どうやら大阪ならどこでも同和教育がきついわけじゃないということがわかって。
あの異様な空気を味わう子供が少ないなら、それは良い事だと思う。
僕の書き方は過激な部分もあったかもしれない。
でも誇張はしていない。僕の経験したことをありのまま書いた。
僕の話を読んで、想像して欲しい。
小学生にこんな教育がされていることを…
僕は、同和委員会がすごく怖い。
あなたが小学生だったら、この教育を9年間受けてどう思うだろうか?
「絶対逆らえない」「同和委員会を批判するとやばい」という恐怖を植えつけられないだろうか?
非合理だという意見があったが、僕なりに考え出したこの教育の理由のひとつは、
「同和関係の団体に逆らうとやばい。批判することさえ許されない。話題にすることさえ…」という恐怖感を子供に植え付けることではないか、と思う。
確かに差別は悪だ。これからの時代を生きる子供たちには絶対に差別主義者にはなってほしくない。
でも、同和や在日外国人など、差別問題について、その利権を吸う団体について議論すらできなくなったら。
その議論をおこした人間のほうが「差別主義者だ!!」と無条件に断定される世の中がきたら。あるいは来ているのかもしれない。
確かに刺激的な話題だし、僕の文体やレトリックにつっこみたい気持ちもあって当然だと思う。
でも、一度想像してみて欲しい。真剣に。
追記:怖いけど言ってしまう。
僕の通っていた学校には同和関係の団体のトップの子供が通っていた。
これは同和教育が強かったことに関係しているかもしれない。
あと、僕はまったく同和・在日外国人に対する差別意識は持っていない!これは明記しておく。
そして、同和委員会に入っている家庭の子供がみんな漠然と利権がおいしいと思っているわけでもない!
僕の友達には、部落出身者の中から同和利権を潰したいと熱く語るやつもいた。(当時中学生)
彼とは今でも年に一回くらいは会っている。友達だ。
だからこそ、僕が彼の住所を口に出しただけで恐怖を感じるような、偏った同和教育は嫌だ!(そしてもちろん、同和委員会を優遇する行政も、同和委員会の子供は無試験で入学させるような学校(実は私学にも多い)などの民間団体も間違っているとはっきり言える。)
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これは創作ではない。
僕が体験した一次的な情報だけを示す。
だから、「大阪では」という大きなくくりがたまに出てくるけど、
「大阪にある僕が通った学校では」という意味で書いている。
これを書く目的は、こんな教育・行政制度はやめろ、という僕の超個人的なメッセージを伝えることである。
その理由は読めばわかってもらえる、と思う。
大阪では年に数回、生徒全員が体育館に集められて、地区の同和委員会から派遣されてきた人(うちの中学校では多分トップの人だった)が講演をする。
これはでっぷりと太ったおっさんが「人権ってええで!ぬくいで!」「キミ等は結婚するときに差別したらアカンのや!」「差別されてた人たちは、ほんまはゲキ(たぶん、劇のこと)とかの天才のすごい人やったんや!」などと数時間にわたって叫びまくるイベントである。
比喩ではなく本当に叫ぶ。
僕は、率直に言って、これは新興宗教がよくやる洗脳だなと感じていた。
おっさんの論理の飛躍は凄い。「差別は不当」「人権は大切」→「だから被差別部落出身者は優遇されるべき」と。
多感な中学生たちに対してこんなイベントが常に行なわれている。
洗脳された友達もいた。
しかも、「事前学習」「事後学習」と題して、講演がないときも「人権」「差別」といったテーマで少ない授業時間を削って作文を書かされたりする。
たとえば「人権」というテーマなら、「居住地を追われるネイティブ=アメリカンの人権問題」とか、いくらでもとらえようがあると思う。
しかし、優秀なものとしてプリントになったり、賞をとったりするのは「部落差別」「在日差別」に関するものだけだ。
僕の友人(彼はスポーツとプログラミングに長けていて凄く賢かった)に「現代の受験制度は差別ではないか?能力に応じて、なんておかしい!受験が容認される社会は差別を容認している」というテーマで差別をとらえたやつがいたが、彼は教師に激昂された。
まだある。文化祭の劇では必ず一クラスが部落差別に関係する劇をやらねばならないのだ。
これはほとんど「にんげん」という教科書(年に一回使えばいいほう)の中から題材を選ぶ。この教科書はすごい。部落出身者が結婚を断られたら「部落差別だ!」就職を断られたら「部落差別だ!」と叫びまくるような話が延々と載っている。
これは小学校の時の話だが、僕は、別にその人がモテなかっただけではないか、就職するのに必要なスキルがなかっただけではないか、と教師に言ってみた。キレられた。
ニュースで「じんけん」の教科書には年間10億円以上が使われている、と聞いて、小学生の僕は怒っていた。
話を劇に戻す。僕が小学校5年か4年のとき、先輩の劇で強烈なセリフがあった。これは一字一句漏らさずに覚えているのだが、直接書くことに抵抗があるのでニュアンスだけ書く(それほど大阪出身者にとって部落委員会のプレッシャーは、怖い。特定される事はまずないだろうが僕はそれでも怖い)。
つまり、彼等部落出身者は、排泄物などの汚物を飲まねば生きられないシステムを他の地域の人に作られながらも生きてきた。だから今の時代では優遇しろ。当たり前だろ。ということであった。
あまり伝わらないと思うが、この劇の恐ろしさたるや、よくこんなものを小学生に演じさせられるな、と戦慄した。
親しかった友達が「なんか俺、部落差別?の出身だから、高校入試なしのただで入らしてもらえた」と言ったこととか、その友達が「変な会館で近所のおじさんに『この学校とこの学校は部落枠があるから、好きなの選びなさい』って言われた」と言ったこともある。
書きたいことはまだまだ山ほどあるが、これくらいで終わる。
追記:http://anond.hatelabo.jp/20080825160204に追記した。
これで同一人物だと示せるのかな。
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これは創作ではない。
僕が体験した一次的な情報だけを示す。
だから、「大阪では」という大きなくくりがたまに出てくるけど、
「大阪にある僕が通った学校では」という意味で書いている。
これを書く目的は、こんな教育・行政制度はやめろ、という僕の超個人的なメッセージを伝えることである。
その理由は読めばわかってもらえる、と思う。
大阪では年に数回、生徒全員が体育館に集められて、地区の同和委員会から派遣されてきた人(うちの中学校では多分トップの人だった)が講演をする。
これはでっぷりと太ったおっさんが「人権ってええで!ぬくいで!」「キミ等は結婚するときに差別したらアカンのや!」「差別されてた人たちは、ほんまはゲキ(たぶん、劇のこと)とかの天才のすごい人やったんや!」などと数時間にわたって叫びまくるイベントである。
比喩ではなく本当に叫ぶ。
僕は、率直に言って、これは新興宗教がよくやる洗脳だなと感じていた。
おっさんの論理の飛躍は凄い。「差別は不当」「人権は大切」→「だから被差別部落出身者は優遇されるべき」と。
多感な中学生たちに対してこんなイベントが常に行なわれている。
洗脳された友達もいた。
しかも、「事前学習」「事後学習」と題して、講演がないときも「人権」「差別」といったテーマで少ない授業時間を削って作文を書かされたりする。
たとえば「人権」というテーマなら、「居住地を追われるネイティブ=アメリカンの人権問題」とか、いくらでもとらえようがあると思う。
しかし、優秀なものとしてプリントになったり、賞をとったりするのは「部落差別」「在日差別」に関するものだけだ。
僕の友人(彼はスポーツとプログラミングに長けていて凄く賢かった)に「現代の受験制度は差別ではないか?能力に応じて、なんておかしい!受験が容認される社会は差別を容認している」というテーマで差別をとらえたやつがいたが、彼は教師に激昂された。
まだある。文化祭の劇では必ず一クラスが部落差別に関係する劇をやらねばならないのだ。
これはほとんど「にんげん」という教科書(年に一回使えばいいほう)の中から題材を選ぶ。この教科書はすごい。部落出身者が結婚を断られたら「部落差別だ!」就職を断られたら「部落差別だ!」と叫びまくるような話が延々と載っている。
これは小学校の時の話だが、僕は、別にその人がモテなかっただけではないか、就職するのに必要なスキルがなかっただけではないか、と教師に言ってみた。キレられた。
ニュースで「じんけん」の教科書には年間10億円以上が使われている、と聞いて、小学生の僕は怒っていた。
話を劇に戻す。僕が小学校5年か4年のとき、先輩の劇で強烈なセリフがあった。これは一字一句漏らさずに覚えているのだが、直接書くことに抵抗があるのでニュアンスだけ書く(それほど大阪出身者にとって部落委員会のプレッシャーは、怖い。特定される事はまずないだろうが僕はそれでも怖い)。
つまり、彼等部落出身者は、排泄物などの汚物を飲まねば生きられないシステムを他の地域の人に作られながらも生きてきた。だから今の時代では優遇しろ。当たり前だろ。ということであった。
あまり伝わらないと思うが、この劇の恐ろしさたるや、よくこんなものを小学生に演じさせられるな、と戦慄した。
親しかった友達が「なんか俺、部落差別?の出身だから、高校入試なしのただで入らしてもらえた」と言ったこととか、その友達が「変な会館で近所のおじさんに『この学校とこの学校は部落枠があるから、好きなの選びなさい』って言われた」と言ったこともある。
書きたいことはまだまだ山ほどあるが、これくらいで終わる。
追記:http://anond.hatelabo.jp/20080825160204に追記した。
これで同一人物だと示せるのかな。
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大阪で育ったけど
こんな教育受けたことない。
本当に「大阪では」と書いてあるところは
全部「大阪にある僕が通った学校では」と書かなくてはいけない話だと思う。
一般化してほしくない。
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こんなこと言ってるかぎり同和教育も同和利権もなくならないってのが分からないのかね。
部落や在日を糾弾する前に、まず自分の隙をなくせよ。
あ、もしかして糾弾もしないで単に差別してるだけなのかな。
だったらごめん。
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1980年代に大阪府の茨木市で小学校に通っていました。
「にんげん」....憶えてますよ。表紙がオゾマシイイラストのあの本ですね。
道徳の時間はすべて部落差別問題(たまに障害者差別)に充てられました。教材は、「にんげん」もしくは先生が用意したプリント。
「道徳=同和教育」だと思っていました。
ナントカ委員会の人は憶えてないけど、
「にんげん」の表紙のおぞましさは忘れられません。表紙になにか別の紙を貼って隠してしまえばよかった。あの表紙は今でもみたくない。
それと、道徳の時間に教室内つつむ空気の白々しさ。なんだったんだ、あの違和感は。いまだに理解できん。
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いや待て待て、たしかにあのイラストは強烈に印象的だが、絵の趣味の話だろw絵がオゾマシイってのをあんまり前面に押し出すのはいかがなもんか。
第一にアートの多様性を理解しない人に見えるし、第二に感情的な差別に見えるし、第三に、そういう意味である種の人々に「オゾマシく」見えるイラストなんてそこかしこにある。例えば秋葉原にも。
感性の違いは尊重すべきだ。
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ごめん。ほんと正直、俺にはあのイラスト、キツかった。
アートの多様性も感性の違いも尊重するよ。俺もいちおうアートの世界の隅っこに生きてるから。
でも、クソガキ時代の俺は、目をつぶってしまいたかった。
なんていうかな、あの、「人間て実は恐いんやでぇ。なに考えてるか分からへんねんでぇ。お前もその人間やねんでぇ」って言われてるような感じ。
そういうネガティブメッセージを受け止められるほど、あのときの俺は強くなかった。
でさ、それを教科書の(厳密には「教科書」と違うのかも)表紙に採用するってのはどうなのよ?
「見たくなきゃ、見なきゃいいじゃん」っていう場所なら分かるよ。アートとしての存在も。感受性の違いも。
でもさ、教科書やったら逃げられへん。一学年だけで考えても200人以上いる不特定の感性に、一律に強制される鑑賞は、それはアートなのか?
と、ここまで書いてふと気付いた。
見たくもない人間の醜さを直視させることが、「道徳」の時間の目的だったのかも。差別も、逆差別も、「つるしあげられる」から差別しないという不合理も、おっさんの怒鳴りも、先生の葛藤も。
そういう不条理の存在を子どもたちに認識させて、「そのなかで生きていくねんで」というメッセージやったんかも。
ちなみに、ナントカ委員会みたいな人たちについて、
「差別がほんまになくなったら一番困るのはアイツらやねん。だから反対やけど、無くなってほしくないねん」っていう友達の言葉に納得した。
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いや、あの絵で普通にいいと思って採用してるんだろ。描いてる人もそんな尖った気分ではやってないと思う。絵本とかでは割とある絵柄だから。社会的には子供に見せても問題が無い絵ってことだな。
もうちょっといろんな絵を見てみたほうがいいな。例えばアフリカンアートとか。それはともかく。
ちなみに、ナントカ委員会みたいな人たちについて、
「差別がほんまになくなったら一番困るのはアイツらやねん。だから反対やけど、無くなってほしくないねん」っていう友達の言葉に納得した。
そういう手合いも確かにいるだろうけど、そういう手合いをそういう風に評して蔑視していくことで差別が温存される、共犯関係なんだろうなあ。
まっとうな同和教育は必要だよ。元増田の紹介は明らかにオカシい。変なミスリードが掛かってると思うよ。
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うん。今なら、あの絵も見られると思う。自分もいちおう成長したつもり。...アフリカンアートね、見てみるよ。ありがとう。
それから、ナントカ委員会の人を十把一絡にした「友達の言葉」も不適切だと認めるよ。(この場合、削除しておいた方がいいのか? マナーとして)
それと質問。まっとうな同和教育って、どんなの?
俺としては、「差別とかあるから、人って信じられない」「差別の周りには不条理がうごめいている」、というのが「道徳」の時間から受けたメッセージ。これは、まっとうなの?
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それと質問。まっとうな同和教育って、どんなの?
俺としては、「差別とかあるから、人って信じられない」「差別の周りには不条理がうごめいている」、というのが「道徳」の時間から受けたメッセージ。これは、まっとうなの?
不条理や不当さというのは常に存在して、だから主張し続けなければあなた(たち)の権利は常に奪われ続ける可能性の下にある、ということに気づかせること、そして不条理や不当さと闘う力を身につけさせるのが「権利教育」の根幹だと思う。分析や批評でなく知を力にする作業。
だから人権教育も分析(人間とは…)や批評(不条理が多いなあ、悲しいなあ、みたいな)が中心にあるのではなく、間違っていることを間違っていると認識する知識やそれを是正する行動力を付けることがその目的にならなければいけない、と思う。
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う…。なんかむずかしいな。つまり、民主主義の能動的な担い手であれ!みたいなことか?
「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、 これを保持しなければならない。」みたいな。
「寝た子を起こすな」とか「さわらぬ神にたたりなし」とかを脱して、責任ある発言と行動力。自分も周りをも変えていこうとするチカラ。
そんなもん、どこから出てくるんだ?
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もちろん増田なんで証拠能力はゼロなんだが.
ここに書いてあるような授業の元締めである大阪府(市)同和教育促進協議会の事務局と同じビルに事務所のある某組織の中の人だった俺が保証する.どれもおおむねホント,あるいは学校によっては更に凄かったよ.もちろん「自分は大阪出身だけどここまでではなかった」とコメントしてらっしゃる方が嘘をついてるとも思わない.たぶん,学区内に「行政が公認した対策事業対象地域」が存在しない学校だったんじゃないだろうか.
元増田のような地区外出身者への洗脳も凄かったけど,個人的にいちばんえぐいと思ってみてたのは,「部落出身者としての自覚を促す」とかの戯言に基づいて地区出身者に強要される「部落民宣言」だな.連中にとっちゃ,「地区出身であるにも関わらず自分が差別されてるとは特に感じてない」存在が許せんのだろうね.自分たちが運動を行い対策事業の恩恵にあずかる最大の根拠を身内に否定されてるようなもんだから.
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http://anond.hatelabo.jp/20080823131346
http://anond.hatelabo.jp/20080824102454
大阪府下で80年代後半から小学校時代を送った者です。
同和教育の冊子、「にんげん」。しっかり覚えています。
中学2年の時の道徳の授業が忘れられない。
一通りの同和差別話をしたあと、担任の教師がこう言ったのだ。
「こういう差別をしたらな、同和関係の団体につるしあげられるんやぞ!
めちゃめちゃ怒られるんやぞ! そやから差別はしたらいかんのじゃ! わかったか!」
教室中の皆がうなずいていた。
でも、私はどうしても納得できなかった。
出身を理由に、就職とか結婚とかで差別するのはいけない。人権侵害だ。それは十二分にわかる。
でも、差別しちゃいけないのは、「団体から怒られるから」ではないのでは?
「怒られるからしない」のでは、根本的にある問題は解決しないのでは?
道徳の授業後の感想文にそう書いたら、放課後の掃除時間中に職員室に呼び出されて怒鳴られた。
「お前は何にもわかっとらんのじゃな! こんなもん全部書き直しじゃ! 書き直してこい!」
悔しくて涙がにじんだが「私は絶対間違ってない。書き直さない」と言い返して、学校の裏へ行って泣いた。
その後、数日、また書き直せと言われるんじゃないかと少しびくびくしていたが、
意外にも担任は何も言ってこなかった。職員室にいた他の先生が何か口添えしてくれたのかもしれないけれど、
今となってはもうわからない。
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「こういう差別をしたらな、同和関係の団体につるしあげられるんやぞ!
めちゃめちゃ怒られるんやぞ! そやから差別はしたらいかんのじゃ! わかったか!」
教室中の皆がうなずいていた。
でも、私はどうしても納得できなかった。
いや、これ正しいって。差別をしないという理由として、団体に吊るし上げられて精神的に潰されるからっていうのは、世渡りする上でメチャ大事。
本当はね、差別してはいけない理由っていうのは、団体からリンチされないため、じゃないよ。
僭越だけど、俺だって一粒ぐらいの道徳は持ち合わせてるつもり。日本っていう国は、門地で人を区別しないって謳ってるわけで。
ただ、現実問題大阪の一部の地域っていうのは、そんな正道を押し通そうとしたら理不尽なことになったりする現実がある。
つか、大阪の中学でこれやってるのって、十中八九公立中学でしょ。公立中学の教育に道徳性なんか求めるのが間違い。
もちろん、差別をしない理由を何か根本的なところに求める姿勢は正しい。絶対に正しい。でも、それを追求したら悲しくなるような現実が、日本各地で起こってるわけだ。中学の先生がどんな人なのかわかんないけど、本当は色々知ってたんだと思うよ。それでも、仕事だから葛藤しつつも子供の前で「差別はしたらいかんのじゃ!」って熱弁奮わなきゃいかんかったんだろうね。仕事って大変だよ。
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同和関係の団体につるしあげられるんやぞ!めちゃめちゃ怒られるんやぞ!
教室中の皆がうなずいていた。
はい、ここがポイントですね。
学校で教育するまでもなく、同和関係団体の恐ろしさは、すでに児童生徒も認識しているわけだ。
で、具体的にどうすると同和関係団体の被害にあうのかを示して、「自分を守るにはどうすればよいのか」を教えるのですね。
まねしてみよう間違っても考えないくらいに後の祟りが恐ろしい。
他地域ですと、差別のしかたを教えると、いじめに活用しちゃいますからねぇ。
大阪ってなんてリアルなところだ。
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こうしてBSK=ヤクザフロント組織という認識がされると
正直、友達の「実はBなんだけど」告白って
「実はヤクザの子なんだけど」って告白と同義なわけで
「お前はまともだと知っているけど、ヤクザは嫌いだ」としか返しようがない
「ああ、俺もヤクザな両親が大っ嫌いだ」と続く
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いまさらなんだけど、増田って2chと変わらんのだなあ。
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いやかなり雰囲気違うと思うよ。
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広く大阪で一般化されてもな。俺はずっと大阪だが、そんなアホな教育受けてないぞ。ちなみに豊中市。
仮にそんな漫画みたいな同和教育があるとしても、もっと狭いごく一部の話なんじゃないか? あるひとつの市か、町か、一校かは知らんけど。
もちろん同和教育はあったし全校集会的なものだったけど、部落差別の歴史と、それで辛い目にあったという話を聞く授業がメインだった。
って当たり前だわ。部落のお陰で濡れ手に粟でいい目にあってんぜ、というアピールをして部落の外の人がいい印象を抱くわけないだろ。ネガティブキャンペーンにしかならんのは自明だ。本当にそんな逆効果にしかならん教育やってんのか?
仮に今逆差別で彼らがウマウマやってるんだとしてもその公演は非合理だぞ。とても信じがたいが。
(追記)
あ、もしかして……。
「人権ってええで!ぬくいで!」→「人権はすばらしいものだ、我々(聴衆も含めて市民全員)を守ってくれるものだ」
「キミ等は結婚するときに差別したらアカンのや!」→これはまあそのままにしか受け取れないが。
「差別されてた人たちは、ほんまはゲキ(たぶん、劇のこと)とかの天才のすごい人やったんや!」→河原者のことを指してる?(この国の演劇の起源と言われている)
お前、変なミスリードしてねえか?
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そんなもん、そーいう地域が流動性もなく存在して色々と切実だった市と
そうでもなかった市との間で同和政策への取り組みへの温度差くらいありそうなもんでしょ。
やる気出して取り組んでる市って、そういう地域があって、
そこの住民が権利闘争に大勝利した市とかじゃないかなぁ。
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自分が生まれ育った大阪府枚方市ではこんな教育は受けなかったんだけど(昭和54年生まれです)、
同和の予算がカットされていってるから、これから縮小されていくのではないかな、と思うよ。
こういう教育が残っているにしてもね。
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俺も同じく教育を受けた。
なつかしい。これに加えて、在日の問題もあった。
でも、そういう仕事だと考えるようになったな。
子供たちや先生方に営業してその対価をもらう仕事。
価格のわかりにくい商品なので、幾らでもいい。
でも、希少そうに見せた方が、それを普及している人も誇りをもてる。
だから、出来るだけ子供たちに「これは特別なものだよ」と伝えようとする。
坊さんからもらう戒名みたいなもんだよ。
高い方が救われるの。
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これも中学校時代に友達から聞いたのですが、「同和委員会に入っているだけで特定部落出身者でなくとも減税など特定部落出身者の受ける行政処置を受けられる」という制度は本当にあるのでしょうか?
その「某組織」にいた頃,「こっちに引っ越してくれば? 住宅の空きもあるしそうすりゃ家賃も安いし」みたいな誘いは何度か受けましたね.当時はあえて深入りせずに聞き流してたんで実は違う話なのかもしれないけど,ニュアンスとしては,
地区出身者でなくても組織のしかるべき地位の者からの口利きがあれば,同和対策公営住宅の家賃減免制度の恩恵に与れる
以外の解釈のしようはありませんでした.